このウェブサイトについて

自分史という作業が一時流行ったが、自分には丁寧に年代を追うほどの歴史もない。
しかし手軽にアルバムを見直しできたり、そのときどき興味のあることを記録したりできる「モノ」を作っておいたら何かと便利だ。そんな思いから取りかかったのが、このウェブサイトである。パソコンで作っているので、最初のホームページをスマホで見るとやたら小さく見にくい。そこで一念発起スマホ対応版を作成した。(写真は信州の生家)
ライブカメラ映像

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ハルウララのその後

連敗に次ぐ連敗で人気を博したハルウララ。各地を転々とした後、縁あって・・・。
→ その後1
→ その後2
→ その後3
→ その後4
→ 春うららの会
→ 会いに行ってみた

「クルマに当たらないで」と呼びかける交通安全ポスター作製で、
「事故防止に貢献した」として、木更津警察署から感謝状と
人参600キロを贈られた(2018/08/25千葉日報)。

ぬいぐるみまで製作された!!

「当たらないで」ポスター
読売新聞2025/06/15 「あれから」Vol.58
ご飯食べて昼寝 余生は「勝ち組ですよ」
写真撮影は2024/11/14
ハルウララは2025年2月で29歳(人間で80歳超え)
--→ バックナンバー要約へのリンク
2025/09/09
さようなら、ハルウララ…〝113連敗した負け組の星〟が天国へと旅立っていたFRIDAY
人間でいえば90歳
かつて「負け組の星」として日本中を熱狂させた一頭の馬を覚えているだろうか。
’04年に高知競馬で113連敗という前人未到(?)の記録を打ち立て、その〝弱さ〟ゆえに
国民的アイドルとなった「ハルウララ」だ。千葉の牧場で余生を送っていたが、
(2025)9月9日未明、スタッフらに見守られながら、天国に旅立っていたことがわかった。

マーサファームにて
「8日の朝は糞をしていなかったので、これはちょっとまずいな、と思い獣医さんを呼んで
処置してもらって、夜の間も付きっきりで対処していたのですが……。明け方に容態が急変し、
そのまま亡くなってしまいました。本当に残念でなりません」
悲痛な声でそう語るのは、ハルウララが繋養されていた『マーサファーム』の代表であり、
『春うららの会』代表でもある宮原優子さん(42)だ。
死因は『疝痛(せんつう)』で、食べ物がうまく消化されないことで腸にガスが溜まったり、
腸の動きが悪くなると発生する。馬にとって、発生頻度、死亡率ともに高い危険な病気である。
ダービー馬のウイニングチケット、サニーブライアン、ロジャーバローズらも、疝痛が原因で
亡くなっている。
「ウララは29歳で、人間でいえば90歳近い年齢だったんですが、本当に昨日までは元気でした。
それが急に…。最近は日本どころか、海外からもウララを見学に来てくれる方が増えてきてたん
ですよ。なので、本当に残念です…」(以下、宮原さん)
交通安全のお守りにも
本誌が取材のためハルウララのいる『マーサファーム』(千葉県御宿町)を訪れたのは、
8月末。記者の前で牧場を走りまわったり、砂遊びに興じる姿を見せてくれていた。29歳
という高齢にもかかわらず、その足取りは若馬のようにしっかりしていた。大きな病気も
なく、食欲も旺盛。まさかこの2週間後に亡くなるなんて……。いまだ亡くなったのが
信じられない。
ハルウララの現役時代は、まさに異例ずくめだった。1998年のデビューから一度も勝てず、
連敗街道をひた走る。普通ならとっくに引退させられるところだが、そのひたむきな姿が
「リストラ時代」の世相と重なり、「負け組の星」として大ブームを巻き起こした。
1着になることがないから「当たらない」と、その単勝馬券は交通安全のお守りとして飛ぶ
ように売れた。
ブームの頂点は2004年3月。当代きっての名手・武豊が騎乗することになったのだ。当日
の高知競馬場には1万3000人のファンが詰めかけ、入場制限が行われるほどのパニックに。
日本中の期待を背負ったが、結果は11頭中10着。武豊をしてもハルウララにはまったく
“歯が立たなかった”のである。
引退後、ハルウララは千葉県や北海道の牧場を転々とするが、最終的に宮原さんの引退馬
預託施設『マーサファーム』に辿り着く。宮原さんはウララの余生を支えるため、会費制の
『春うららの会』を設立。会員を50人と決め、それ以上は募集していない。
「ウララで金儲けをしていると思われることだけは絶対に避けなければ、という思いが
強くありました。今の会費で、ウララを養う分には十分なんです」
「感謝の気持ちでいっぱいです」
そんなウララに、予期せぬ転機が訪れた。競走馬を擬人化した大人気ゲーム『ウマ娘
プリティーダービー』のキャラクターに選ばれたのだ。作中では、負け続けてもけっして
諦めない、明るく健気なキャラクターとして描かれ、再び人気が沸騰。若い世代のファン
が牧場に足を運ぶようになった。そして2025年6月、ゲームの北米・ヨーロッパ向け英語
版がリリースされると、その人気は世界に飛び火した。
「これまでも中国、台湾、韓国あたりの人たちがけっこう見学に来られていたんですが、
英語版が出てから、状況は一変しました。牧場見学の問い合わせメールの送り主が、
アメリカ、フィリピン、この間はポーランドからも来ました。最近の見学予約は3分の1
ほどが海外の方でした」
日本中を駆け巡ったブームから約20年。多くの人に夢と希望を与え続けてくれたハルウララ。
ウララが『マーサファーム』で過ごした時間は、彼女にとってもっとも穏やかで幸せな時間
であったのだろう。
「最後までわがままを通してましたよ。疝痛の時は腸を動かさなきゃいけないので、昨日も
歩かせようとしたのですが、ウララは『イヤだ。私、歩きたくない』って止まっちゃって。
でも、わがままなウララだからこそ、たくさんの楽しい思い出があります。ウララには本当
に感謝の気持ちでいっぱいです」
FRIDAY9月26日号では、亡くなる直前の2週間前、牧場で目撃したハルウララの元気だった
姿を報じている。
取材・文:酒井晋介
品種 サラブレッド
性別 牝[1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1996年2月27日
死没 2025年9月9日(29歳没)
抹消日 2006年10月1日
父 ニッポーテイオー
母 ヒロイン
母の父 ラッキーソブリン
生国 日本(北海道三石町)
生産者 信田牧場
馬主 (有)信田牧場→横山貴男
→(株)エムエイオフィス
(以上現役競走馬として)
(引退後)
安西美穂子→春うららの会
調教師 宗石大(高知)
厩務員 藤原健祐
競走成績
生涯成績 113戦0勝
獲得賞金 112万9000円
誕生・デビュー前
ハルウララは1996年2月27日、北海道三石町歌笛(現・新ひだか町三石歌笛)に
ある信田牧場で誕生した。幼少期から小柄で臆病な馬であったという。
信田牧場がみずから所有する形で競走馬となり、高知競馬でないと勝負にならな
いという理由から、高知競馬場の調教師宗石大に預託した。
入厩当初のハルウララは鞍を装着しようとすると暴れる、腹帯を締めようとする
と地面にひっくり返る、運動をさせようとしても動こうとしないなど非常に手の
かかる馬であった。
ある程度改善がみられたところで厩務員になったばかりの藤原健祐を担当厩務員
に指名した。ハルウララは次第に藤原にだけは懐くようになった。
2003年5月末の時点で連敗は87を数えた。この間、ハルウララは、蹄の疾患により
1度出走を取りやめた以外はコンスタントに出走を続け、そのペースは年間20回ほ
どであった。当時は1回出走すると6万円の手当がついたため、ハルウララは1年に
120万円ほどの出走手当を稼いだ。宗石によると、馬主に請求する預託料は年間
130万円から140万円ほどで、ハルウララが年間15回しか出走することのできない
体質であったならば引退を検討していたという。
信田牧場は2003年春にハルウララを引退させて乗馬にするプランを宗石に示したが、
宗石は臆病なハルウララは乗馬に適さないと判断し、「走れるうちは走らせてやり
たい」という意向から横山貴男に馬主を引き継ぐよう要請し、現役を続行させた。
ハルウララの連敗に最初に注目したのは、高知競馬場の実況アナウンサー橋口浩二
である。60連敗を超えたころからハルウララに注目し始めた。
高知新聞の記者石井研は橋口から話を聞き、「記者の本能でネタになると思い」、
取材を開始した。2003年6月13日、同新聞夕刊社会面にハルウララに関する記事が
「1回ぐらい、勝とうな」という見出しで掲載された。この報道を目にした、高知県
競馬組合の職員吉田昌史(広報担当)は高知競馬が財政状況の悪化から廃止の危機に
瀕していた状況に鑑み、「何でもいい。人目を引くことをしないと」という思いから
ハルウララに関する広報資料をマスコミ各社に送付した。
この日を境にハルウララはさまざまなメディアによって取り上げられるようにな
り、7月末に東京新聞が「リストラ時代の対抗馬」と評したのを皮切りに「負け組の星」
として全国的な人気・知名度を獲得。ハルウララの単勝馬券を「リストラ防止になる」
「当たらないから交通安全のお守りになる」という理由で買う者が多く現れた。
2004年3月22日、106戦目のレースでは中央競馬のトップ騎手武豊が騎乗して出走する
こととなり、大きな注目を集めた。当日の入場者数(1万3000人)、1つのレース
の馬券売上額(5億1163万円)、1日の総馬券売上額(8億6904万円)はいずれも
高知競馬史上最高記録を更新、ハルウララの単勝馬券だけで1億2175万円の売り上げを
記録し、関連グッズの売り上げ額はおよそ1000万円にのぼった。
2012年12月頃、安西サイドは千葉県御宿町にあるマーサファームにハルウララを預託
した。同牧場の関係者によると、受け入れてから半年ほどで預託料は支払われなく
なった。2014年2月にハルウララの所有権は放棄されマーサファーム側に移った。
2018年夏には、御宿町出身で帰省のたびにマーサファームに寄ってハルウララに餌を
与えていた木更津警察署の警部補の発案で木更津署の夏の交通安全啓発ポスターに起用
され、ハルウララに署長感謝状とニンジン約600kgが贈呈された。
2021年にゲームアプリ「ウマ娘 プリティーダービー」がリリースされてからは見学者
が増加。2025年6月26日『ウマ娘』英語版がリリースされると海外からもハルウララが
注目され、引退した馬に生の牧草をプレゼントするクラウドギフティング「生牧草バン
ク」にハルウララ宛の支援が殺到するようになる。
2025年9月9日午前2時20分、疝痛のため繋養先のマーサファームにおいて死亡(29歳没)。
訃報を受けて、高知競馬場は3日間献花台を設けたほか、担当調教師だった宗石大は、
マーサファームの代表や関係者、ファンに感謝の意を述べた。また、この訃報は海外
メディアでも取り上げられ、負け続きの現役競走馬時代や『ウマ娘』への登場、海外
からのマーサファームへの訪問者の増加および一夏で2500kgもの牧草を「生牧草バン
ク」から受け取ったことまで詳しく報じられた。
『ハルウララは生きていた』紆余曲折を経て、彼女が見せた本当の姿
2014年09月30日(火) 18:00
『ハルウララは生きていた』
大西慶依子さんの写真集
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